【小説】あにき⑨【脊髄小脳変性症看護記録】

小説

※この記事の執筆者はATAU氏です。イタリック字体部分はちゃむやまによる注釈などです。※

 

鯉②

父母へFax7

(H17年11月7日)

朝から良く晴れて9月ごろの陽気、街には半そでの若者もいた。

昼前に家を出て午後1時に関東第2病院に着いた。受付しないで直接3Fの兄の病室へ行った。2人部屋で手前のベッドには以前とは違う患者が、かなり高齢で酸素マスクのようなものをつけていた。

 

兄は眠っているよう、起こさないようにそーと近づくが、ベッドについているハンドルのようなものに足が当たって兄が目を開けた。

 

兄が最初に言ったことは「確定申告してくれ」「おれでもできたので簡単だよ。まずは昨年作成したのを見ておいてくれ。還付金が戻ってくるのは面倒なのでプラスマイナスでゼロにしてくれれば良い。階下の部屋を貸しているので6万なにがしの収入、、、」

 

「やってもいいよ。自分も確定申告を自身でやっているからできると思う。亮子さんに言っておいてくれ。亮子さんは税のことはできないの、詳しくはないの?」

 

「亮子には言っておく。あれはこういうことはできない」

 

「タンが出なくなったね」とわたしが言うと、「うん、具合いい」と兄。

 

それから足を中心に30分くらいマッサージをする。足はこの間とは違って暖かい。さすってあげると毛が抜け落ちてくる。体の筋肉はさほど落ちていない。しばらくやっていると兄が「疲れるだろうからもういいよ」と何回も言っていた。

 

わたしは「マッサージするのは慣れているので別に疲れないよ。ところでこの病院は雰囲気がノンビリしていて親切でいいね、快適だよね」と言うと、兄は「うん。でもやっぱり家がいいね」

 

「タンとか取れるなどいろいろな設備が家では心もとないからね。病院だと安心できる」とわたしが言うと兄は、「そうだね。一長一短だね。亮子には4人部屋に移れないか聞いてもらっている。回りに人がいたほうがいいからね」「1階の売店で白いヨーグルト2個買ってきてくれないか」

 

わたし買って来る。

 

「ハンドルを回してベッドを起こしてくれ」と兄が言って、自分でスプーンを使って食べ始めるが胸元にこぼす。

 

「こぼしちゃった。エプロンは?」と兄が言うので、わたしは胸元のこぼしたのを拭いてからベランダにほしてあるエプロンをかけてあげる。時々こぼすが割りと上手に2個とも食べてしまう。

 

隣のベッドで世話をしていた看護婦さんが来て、「ヨーグルト好きですからね。弟さんですか?似てらっしゃる」

 

兄は時々自分の腕にはめている時計を見ながら「3時ごろからリハビリなんだ。看護婦が来て車椅子に乗せてくれて1階のリハビリ室で30分くらい体を動かす」

 

「そうだよ、体を動かすと良く寝むれて良いよな」とわたしが言うと兄は「でもちょっと痛いんだ、リハビリは」

兄は顔の筋肉が少し落ちてほほ骨がでてきて、ちょっとおじいちゃん(母の父)に似てきた。

「こないだおやじとおふくろが来たよ」と兄。

 

「つい2-3日前所沢に行って泊まった、親父やお袋とよく話をしたよ」とわたしが言うと、兄は「それは良かったね。俺が行けないので行ってやってくれよ。今日はおやじの誕生日なのでバラの花を見繕って送るように亮子に頼んでおいた。能のとこはみなさん元気かい?」

 

「みんな元気にしている。わたしの腹もだいぶ良くなってきた。松子とか、いま娘も留学先から帰ってきているので会いたいかい?」

兄は「そうだね。会いたいね。亮子に聞いてみるよ」

 

「ほかに誰か会いたい人いるかい、熊本の親戚とか?」とわたしが言うと兄は「うん、そうだね、亮子に聞いてみるよ」

 

「いや、別に居ないよ」と言うと思ったが、思ったより素直に普通の感じで「会ってもいいね、会いたいね」といった感じだった。

 

白いシクラメンの立派な鉢が置いてあったので誰からか?と聞いたら「亮子の下の弟」

午後3時ごろになって兄が「暗くなると寒いし大変だからもういいよ。来週、来れる?」と聞くので「来週は仕事立て込んでいるのでちょっとわからない。少なくても再来週までにはまた来ます」と言って、帰ろうとした時に丁度亮子さんが来た。それで先ほどの税の話を兄は亮子さんとしていた。

 

鷹之進の誕生日が今日なので兄が「なにか花を贈ってあげて」と亮子さんに頼んでいた。

兄は穏やかで態度もしっかりしていて身体の状態も安定しているように見受けられた。少なくても今すぐどうこうという感じはない。

 

わたしが帰ろうとすると亮子さんがちょっと下まで送っていきます、と言って一緒に階下まで降り、病院のロビーで20分ほど話をした。

 

亮子さんの話

3ヶ月間は今の病院に居られる。それ以降は(病院で世話をしてもらっている年配の看護婦の話では)同じ関東第2病院の西棟に療養型の病室があってそこは月30万くらいかかってちょっと高めであるが入ろうと思えば入れると思う、と紹介してくれた。

 

よその病院に移すより治療の先生や本人の負担など考えて同じ病院のほうが良いと思って一応申し込んでおきました。

 

わたしは「それがいいですよ。兄も是が非でも家に戻りたいと言っているわけではないですし。家で面倒を看るのは亮子さんが大変になってしまう。父母とも話したのですがなにより亮子さんのことがいまは一番大切だと、話していますから」

 

「鷹之進にも病院へ父を見舞うようにと再三言うのですが、高校に入ってバスケットの部活が大変なのか、こないだも学校から電話をしてきたので病院のことを言い出したら電話を切ってしまったりで」

 

と亮子さんが言うのでわたしは「今はあまりせっつかないほうがいいですよ。鷹之進の年頃では消化しきれないスピードでいろいろなこと(大好きだった祖父の死や父の病気のこと)が押し寄せてきているから。いまは一生懸命対応しようとしている最中で、父を見舞う件もあまり無理にと言うとかえってこじれていけない。しばらくはそのことは言わない様にしたらどうでしょうか。行きたくなったら自分から行きますよ。それに兄貴も鷹之進が来ないなどと全然気にしていないから。亮子さんも気にすることないですよ」

 

亮子さんは友人から「鷹之進も血液検査で和夫さんと同じ病気(脊髄小脳変性症)が遺伝しているかわかる」と聞いて、そのことが心配で気にかかっていると言う。亮子さんは周りに不幸が重なって鷹之進まで難病であったらわたしは生きていけないと泣いて言うので。

 

わたしは「遺伝ことは弟のわたしも心配でしたので医者に単刀直入に聞きました。両親はご健在だからそれはない、心配は要らない、孤発性ですと言い切っておられた。それに現在は治療法がない病気。調べて鷹之進が万々一そうとわかっても良いことはない。

 

調べることで唯一良いことといえば亮子さんが安心するだけです。調べる必要はないと思います」。そう言われても亮子さんは心配が尽きない感じで「ご両親が健在でも祖先さかのぼって行けば誰かがそうかも知れず、わからないですよね、、、」

 

わたしは、「心配は要らない。これからも色々なことがあるかもしれないが二人三脚で助け合ってやっていきましょう。大丈夫ですよ」

 

亮子さんはわたしとだいぶ打ち解けて来て日ごろの心の負担などをかなり率直に語ってくれるようになった、一歩前進です。

 

Fax以上

 

つづく

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