【小説】あにき⑤【脊髄小脳変性症看護記録】

小説

※この記事の執筆者はATAU氏です。イタリック字体部分はちゃむやまによる注釈などです。※

 

山の温泉④

発病

和夫が発病したのはいつ頃だろうか。和夫は長年勤めていた食品スーパーの紀ノ国屋を53歳で早期退職し、友人のやっている小さな貿易会社を手伝うことにした。それも妻の亮子には相談しないで自分で決めた。

 

和夫が職場でのことを家に持ち込み亮子に話すということはそれまでもめったになかった。貿易会社で働き始めて2年が経った和夫55歳、H15年の春頃に発病したと思われる。

 

H15年は能も勤めていたシェル石油を早期退職して友人の会社(会社の新人研修などを請け負う)で講師の仕事についていた。能がその会社から夏休みにと言って裏磐梯五色沼湖畔のホテルチケットを贈られた。

 

能はあいにくその夏は用が重なり五色沼には行けなくなったので和夫に「チケットが2枚あるんだけど兄貴行くかい?」と電話すると、和夫は「それじゃあ家族で行くよ、悪いね」。旅行後に湖畔で息子の鷹之進と写っている写真を添えて「良いところだね、子どもと釣りをしたりして久しぶりに楽しんだよ。ありがとう」と言う礼状が来た。

 

これまで兄弟仲が決して良い方とは言えなかった和夫と能、こうして能からの誘いを和夫が素直に受け入れるというのは珍しいことだ。

 

当時の能には知る由もなかったがこの五色沼での和夫はもう既に難病にかかっており、まだ本人にも気付かない程度ではあったがその兆候が出始めて来た時期であった。病気のことを何も知らない亮子が「ねえ、池のほとりの散策路をぐるっと回ってみましょうよ」と誘っても最後まで和夫は腰を上げようとしなかった。歩き通す自信がなかったのだろうか。

 

その年の秋、和夫が父母のいる実家(所沢にある)に泊まった時のこと。父が家の台所についている大きな蛍光灯の交換を和夫に頼んだ。健康のときでもきついその天井での作業を和夫はなんとかやった。

 

和夫の身体の異常について何も知らされていない父が作業中の和夫に向って「電源のスイッチを切ってからやれよ」といつもの癇性の声で怒鳴った。温厚な和夫だがその時はかっとなって「うるさいよ」と怒鳴り返し口論となった。

 

父母へFAX5

(平成17年10月9日)

このところ所沢にも行っていませんが、今度また遊びに行きます。

わたしは眼鏡屋で検眼して右と左の見え具合がずいぶんと違ってきているのでビックリ。昨日目医者に行って来ました。右目中央にかなりの白内障が出ていて、今55歳ですが60歳後半の目ですと言われた。

 

左も軽い白内障。2-3年様子を見て手術も考えましょうと。進行を遅らせる目薬を2-3ヶ月分もらってきました。歳とともにだんだんと肉体が衰えていくのは、わかっていても寂しい気がします。

天気も梅雨のようですっきりしません。体調も軽い風邪のようでイマイチです。仕事も一休みです。妻や娘が元気なのが助かります。

さて、

午前11時に兄宅に到着。兄は半そでのパジャマ姿で迎えてくれる。補助器につかまりながらの歩行。訪問散髪で髪を切ってもらってすっきりしていた。昨日介護の方にお風呂で頭をシャンプーしてもらったので「気持ちよかった。後頭部の湿疹も良くなってきている」と。

 

こざっぱりして白髪が若干目立ってきた。表情は穏やかだが顔の筋肉などの動きがややぎこちない。来るまではいつもあまり乗り気がしないのですが、こうして兄貴の喜んでいる笑顔を見ると気持ちがほぐれます。

 

いすに座って一緒に昼食。兄はお茶漬け、わたしはおかゆ。少しこぼすが箸を使って食べる。

亮子さんの話

「10月5日に訪問医が来た。まだ若いのにびっくり(40歳代?)、温厚な方でよかった。階段を使った上り下りのリハビリを続けると良いですよと先生に言われて、2Fから3Fの内階段を使って何回も練習していた(亮子さんの助けを借りて)」

 

あまりいっぺんにやらないほうがいいんじゃないと言うくらい熱心に。動いたほうが便も出て調子が整うからと。その日はちょうど訪問看護婦も来て、浣腸もやってくれた、やはり適度に動かないと便もうまく出ないようだ(訪問看護もまじめで良い方)。

 

医者の処方した薬は近所の薬局でも貰えるので亮子さんが取りに行っていた(いちいち関東第2病院まで行くのは大変)。ただ小脳の何とかという薬だけは特注しないと普段は置いてないそうだ」

 

からだを揉み解すと気持ちもほぐれるので「訪問でマッサージを受けると良い」とわたしが言うと、兄が「今度頼んでみるか」

 

手すりは近いうちにつけるつもりだが鷹之進が「かっこ悪くて友達を家に呼べなくなる」と嫌がっているらしい。こうした鷹之進の態度はどうも頂けない。もう少し父親(和夫)のことを思いやらなくては。

 

この頃兄がいつも話す話題は「大の仲良しだった3人の友人が皆からだが悪くてなかなか大変である。母が週に1回来るというが月に1回くらいにしてくれと言ってある。能の上の娘がオーストラリアに留学しているが親元を離れて外国に行って正解だ。子どもがいつまでも親元に居ると自立心が育たない。能は自分のからだの悪いところはこないのか?何かあったら早めに医者に行け、などなど」

 

亮子さんが居ない時に兄は「あいつ(亮子さん)はまるでマラソンを短距離で走っているようだ。あれじゃあ疲れるだろう」

 

1時間ほどで兄が自分の部屋で休み、亮子さんが「和夫さんには言っていませんが、先日わたしの上の弟(母と同居していた)が消化器系のガンで亡くなりました。弟はわたしとはそれほど仲は良くなかったのですが、、、。母にはさすがに相当なショックだったと思います。また叔母さんから電話があって自分の子供もどこかしかが悪いとのこと、いい話はないですね。こんな話ばかりで母には話せない。死んだ弟の車を末弟が廃車にしたのですが、それが早すぎると言って母が怒って廃車手続きをキャンセルさせた。末の弟は人が良いのだがせっかちで困る」

 

「鷹之進は学校のバスケのクラブ活動が忙しくて、でもそれくらいが余計なことを考えなくてちょうど良いかもしれない」

わたしは「鷹之進には先日、絵を交えた軽い手紙を3枚書いておいた」この家のパソコンは調子がイマイチだがどうにか使えるようにはなった。しかし誰もやっていないようだ、忙しくてそれどころではないのだろう。

介護などの体制が整ってきて、兄貴も亮子さんも落ち着いてきている印象を受けた。

 

Fax以上

 

つづく

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