【小説】あにき③【脊髄小脳変性症看護記録】

小説

※この記事の執筆者はATAU氏です。イタリック字体部分はちゃむやまによる注釈などです。※

 

山の温泉②

父母へFAX2

(H17年9月9日)

病院へ行って来ました。

前日に亮子さんから電話があって「昨日和夫さんがトイレに行こうとして自分の部屋で転んだ。畳の部屋なのでたいしたことはなかったが、、、」。

 

それで亮子さんと相談して翌日の泌尿器科への通院(以前から尿の出が悪くなって通っている)は、兄が自分で行けないことはないが大事を取って今回は本人ではなくわたしが病院へ行って先生に様子を伝えて薬をもらって来ることにした。

 

朝9時半に井の頭線永福町の駅改札で亮子さんと会い、診察券、保険証、1万円を受け取り、修理のため預かっていたパソコンを手渡してそのまま電車で病院へ向った。

 

泌尿器科の医師の話

「そのつどカーテルを入れての排尿は大変だから、今後は管を常時つけてその管の先から尿を抜くのが良い。管は2-3週間変えなくて良いので負担も少なく炎症を起こす心配も減る。今後は自宅でもできるように病院から訪問看護をつけ、週1-2回行ってからだのことをケアーする。病院との連絡もその訪問看護者が取る。医者が病院へ来てもらいたいと判断したときには負担のないよう特別の車で運ぶように手配する。訪問看護の費用は交通費くらいで基本的には無料」

 

その後病院内で訪問看護の担当者と打ち合わせる。

 

その担当者の話

「管をさすことには患者の承諾が必要なので後に電話で知らせて欲しい。OKなら9月13日午前中に最初の訪問を予定する。また13日予定されている脳内科担当主治医の診察には和夫さん本人の変わりに能さんが来て話ができるように手配しておく」

 

そうした病院での用事が済んで12時半に兄宅に着く。早速兄に聞いたところ管をさしての排尿でOKとのことで、訪問看護の担当者に電話で知らせる。昼飯を兄と一緒にとる。兄は軽くビールを飲んでいた。箸を使って食べる量は以前より少なくなってきた感じ。表情は穏やかでよく話す。1時間ほどして兄は自室にて昼寝。

 

そばに住んでいる亮子さんの上の弟(亮子さんは長女で上の弟、妹そして下の弟の順で4人の兄弟姉妹)がガンで入院。それもあってか亮子さんの母親が兄宅にしばしば来る。

 

霊南坂の自宅に午後5時に帰る。

 

Fax以上

 

 

父母へFAX3

(H17年9月14日)

亮子さんより聞いた話

「9月12日に介護保険のケアマネが訪問してきた。こちらは病院関係とは違って生活面(部屋の掃除、食事、お風呂など)のフォローが中心。

 

和夫さんはこれらの介護を頼むのを嫌って1日延ばしにしてきたがもう大変なので来て貰うことにした。手すり、ベッド、エレベーターなども頼めば取り付けてくれるそうだ。エレベーターは障害者手帳を取れば相当額(100万円)補助が出るので早急に取るように。

 

とりあえず直ぐにもつけられる手すりなどを手配した。ベッド(リース)は兄の部屋の畳替えを近日中にしてその後に入れるつもりだ」

 

9月13日、朝8時に自宅を出て、兄宅に9時半到着。病院専属の訪問介護の方が2名病院を出てこちらに向ったとの電話があり、程なくして到着。先日病院であった方ともう1名。一人が尿道に管を入れる作業を、もう一人の方とは契約についての話をした。

 

契約の内容

「費用は医療保険でまかなう。管の交換や洗浄など主に身体のことで週1回は来る。慣れてきたら一緒に散歩やお風呂なども徐々にやっていきたい。24時間体制なので何かあったら電話をくれれば対応する。救急車で関東第2病院への運び込みも可能」

 

また訪問介護の方の話は「エレベーターは取り付けた方が良い。緊急時の運び下ろすのに楽だし、看護士とたまには一緒に車椅子などで外を散歩すると気分も変わる。週1回でもデイケアセンターに出かければ軽いリハビリなどで半日程度過ごせるし、他の方との交流にもなる。その間家族の方が買物など自分のことに時間が使える、そうした息抜きがないと続かない」

 

管を入れ終わって、そのやり方を訪問介護の方から亮子さんが説明を受けていた。兄は、最初のうちは戸惑いがちだったが最後は「看護婦はいい人たちみたいだ」と好感を持ったようだ。

 

午前11時に兄宅を出て、病院へ。兄の主治医である脳内科の外来をわたしが受ける。

 

先生の話

「通院が困難という状況を踏まえて、これからは訪問の専門医をつける。これでわたし(担当医)との縁が切れたと言うわけではなく何かありましたら来てください。訪問医師は病院に所属していない訪問を専門にする医者。脳の専門で同様の病名の患者を診た経験もある。自分も信頼を置いている先生だから大丈夫。紹介状を書く。MRIの写真も貸し出すので、訪問医師に見せてください。」

 

その場で訪問医師と電話で話し9月20日以降に兄宅で初診という段取りをつける。またリハビリについて話が及んだとき、先ほど兄宅に来ていた訪問看護婦を電話で診察室に呼び、3者で今後の訪問リハビリについて自宅で行えるように話しあった。

 

身体障害者手帳の医者の欄への書き込みに関しては、自分はできないので(先生は聖マリアンヌ病院の自分の患者なら手帳にかけるが関東第2病院では出向なので権限がないようだ)病院内脳内科の別の先生にお願いする。そのためには1回は患者を病院へ連れてくる必要がある。

 

(紹介された別の脳内科の先生とも後であって、9月22日午後に兄をわたしが病院へ連れて行き身体障害者手帳に書いてもらうことになった)。転んだり何か事故があったら救急車で関東第2病院へ運び込んでください、責任をもって処置します」

 

わたしが「パーキンソン病などに画期的な手術方法が出てきたようだが、今後兄のでもそのような治療の情報がありましたらよろしく」と言うと先生は「パーキンソンと兄さんのとは病名が違う。聖マリアンヌでも同様の病名患者を診ていますので最新情報がありましたらもちろんお伝えします」

 

帰りに区役所に寄って、身体障害者手帳の申込用紙をもらって兄宅へ午後2時到着。お昼はおかゆを作ってもらって食べる。兄は午前中少し戸惑っていた様子だが昼は落ち着いていつものように穏やかによく話す。

 

「母からパーキンソンの読売の記事を送ると言っていたが来ないなあ、別にいいんだけど。最近所沢に行ったか?」と兄が聞くので、わたしは「行ってない。元気でやっているみたいよ。父が歯を抜いたらしい」。兄は「2本だろ、知ってるよ」などなど。

 

亮子さんが「所沢にはまた電話でもしておきます」と言うので、わたしは「詳細は報告してあるから大丈夫ですよ。そちらから連絡するのは大変だろうから」

 

「そうですかそうしてもらえると助かります。介護の体制などでいまは大変だから」と亮子さん。

 

「兄が起きていてそちらの都合の良いときに所沢に電話してあげてください。1-2週に1回くらいでよいのでは」と言うと、亮子さんが「ええ、わかりました」

 

わたしも正直大変です。兄宅に行くには1時間半かかり、その上大変な神経使いますから。でも兄のことは亮子さんだけでは無理ですね。ちゃんと介護の体制ができたら今度は自分自身のからだのことや仕事のことなどもやらないといけないと思っています。

 

兄から頼まれれば嫌な顔もできませんが、毎回なんでわたしがここまでやらなければならないのか自問自答の毎日です。まだ子供たちにはお金がかかりますので仕事もしなければならないし、自分の生活そのものも余裕のない状態です。

 

しかし(亮子さんとも話しているのですが)兄にはなるべく笑いながら接するようにしています。こちらが大変そうにしているのを感じるのが兄にとって一番嫌なはずですから。多少周りのいろんなことがきちんと進行していかなくても、それでこちらがイライラしてしまっては本末転倒だと思っています。それでは。

Fax以上

 

歩行が困難になってきた和夫に代わって能が病院へ行くことが多くなってきた。午後になって病院から戻ってくる能に最初のうち和夫は「医者の話はどうだった、どんな話が出たの」と聞いてきたがそのうち細かくは聞かなくなってきた。どうせ治らない病気と言うことで関心が薄らいでいるのだろうか。

 

難病にかかったと最初聞かされたとき能はそれほど強くは感じなかったが日が経つにつれ自分の心の中で「いま和夫はどんな気持ちでいるのだろう。きっとあり地獄に落ちて行くようなあるいはどろどろした底なしの沼でもがけばもがくほど沈み込んで行くような、どうしようもない苦しさの中に居るのではないか」と思うようになってきた。

 

「もう兄弟仲が良いとか悪いとか言っている場合ではない。わたしにできることは何でもしよう」と能は心に決めた。

 

能の生活は和夫の病気によって変化を余儀なくされた。またそれは能の心の準備が整う前に突然にやってきた。最初のうちは無我夢中であったが、暫く経ったいま気だるいような疲労を感じる。

つづく

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