【小説】あにき②【脊髄小脳変性症看護記録】

小説

※この記事の執筆者はATAU氏です。イタリック字体部分はちゃむやまによる注釈などです。※

 

山の温泉①

プロローグ

長くて短いような2年間だったと能(あたう)は思った。兄の和夫が難病に係り兄嫁の亮子とその看病にあたった。

 

いま能は秋田にある森吉山(もりよしざん標高1454m)を歩いている。「天国に続く道って川の中を歩くことだったんだ」と一緒に歩いている能の山友達である容子が言った。山道ではなく川の中をポチャポチャと歩き、頂(いただき)を目指して登りつめる。

 

噴火で山頂から吹き出た溶岩が流れ落ちた跡がそのまま川になったんだろうか。まるでコンクリートを山頂から流し続けたように川の底はつるりとした一枚の石から出来ている。一般道から川の道に入るとき能と容子は登山靴から長めのゴム長に履き替えた。川は浅くせいぜいくるぶし上数センチだ(ところどころ深いところもあるが)。

 

能は山が好きでよく出かけるがこうして川の中を歩くと言う経験はあまりない。山道とは違った不思議な心持にさせられる。歩いていると魚にでもなった気分だ。両岸は開けていて概ね視界は良好だ(ところどころ切り立っているが)。大小様々な滝にも出くわす。

 

桃尻(ももじり)滝と呼ばれる大滝を上りつめるときは少し興奮を覚えた。そのエロスを秘めた形はお尻のようであり上りづらい、岩肌は濡れてつるつるして十分な注意が必要だ。やっとの思いで滝の上に登り見晴らしの良い岩の上に腰を下ろす。

 

眼下には登って来た川筋がはっきりと見渡せる。その両岸にはやわらかい新緑の中に山吹が初夏を告げる鮮やかな黄色い花をつけているのが見える。このルートは歩くものをしあわせにすると言うので「天国に続く道」と呼ばれている。

 

能はひと休みしながら「もなむもなむ」と口の中でつぶやいて「天国への道はきっと黄色なんだ」と思った。和夫との2年を思い返して「よくココまで来たな」としあわせな気持ちになった。

 

昨日は東京から新幹線で角館まで行き、そこから秋田内陸線に乗り換えた。比立内(ひたちないーアイヌ語でナイは沢なので石ころ拾い採りに行く沢の意味か)阿仁マタギ(あにまたぎ)奥阿仁(おくあに)こういう聞きなれない駅名が続くと随分と東京から離れてきたなと能は心がワクワクとして来るのだ。

 

電車は2両で昔ながらの4人がけのボックス席、比較的空いていたので容子と能はボックス席の窓際に2人で向かい合わせに座った。車窓からは東北のありきたりの田園風景が続く。やわらかい木々の緑に包まれた田んぼに農家だ。

 

能は思いっきり窓を開けて初夏の爽やかな風を胸一杯に吸い込んだ、そして靴を脱いで前の席に足を投げ出した。やがて電車は阿仁合(あにあい)と言う駅に着き2人はそこで降りた。予め連絡を入れておいたので駅には宿の車が待っていた。森吉山荘は飾り気のないさっぱりとした清潔な宿で東北らしく温泉がこんこんと湧き出ていた。

 

はじめに

能(あたう)の父母がともに80歳を越えたころ、それは青天の霹靂(へきれき)であったろう。もう一人の息子である長男の和夫が難病にかかったという。脊髄小脳変性症という聞きなれない現代医学ではまだ治療法の確立していないもの。手足から動かなくなっていき身体の中心へとそれが進行してやがて数年で死に至るという。

 

あれだけ気丈だった母が急に食欲がなくなり傍目からも気の毒なくらい憔悴して行った。思いつめた口調で「その病気、変われるものならわたしが変わってあげたい」「和夫の家のそばに部屋を借りて自分が看病に当たる」などと実現できそうもないことを言い出す。とにかく少しでも息子のそばに居てやりたいのだろ。父母は和夫に会いに毎週のように電車に乗って1時間以上かけて見舞いに行った。

 

和夫としては親に心配をかけまいと言う気持ちが強く働くのか、日々衰えていく自分の姿を父母に見られるのが切ないのか、こうしてしばしば自宅を訪れる父母を敬遠するようになった。弟の能にむかって「ああしょっちゅう来られたんじゃかなわないヨ。せめて月1-2回にするようにお前からも言ってくれ」。

 

こうして父母は遠ざけても能が見舞うことは歓迎のようである。能が行くと幾分でも心が休まるのか「できるだけ来てくれるとありがたい」と和夫は言った。

 

能はシェル石油を早期退職して次の勤めはアルバイト的なもので時間は取れる。できるだけ和夫に会いに行こうと思った。行った日には、その日の出来事を細かく記して父母の元へFAXで送った。父母も日々変化していく和夫の様子がわかり随分と安心したのではないか、そのFAXを心待ちするようになった。そうして2年くらいか、送ったFAXも結構な厚さになった。この物語はそのときのFAXが基になっている。

 

お父さんお母さんへ、能よりFAX1

(H17年9月1日)

兄宅へ行って来ました。前日に兄嫁の亮子さんより珍しく電話があって「和夫さんが頻繁に能さんに電話をして呼び出しているようですが能さんの生活が壊れるのではと心配です。大変なときには遠慮なく断ってください」。

 

いつものように朝9時半ごろ霊南坂の家を出て10時半に井の頭線永福町にある兄の家に着きました。亮子さんが丁度昼飯の食材を買いに出かけるところでした。

 

居間で兄と話をした。

 

「先日オレの介護保険認定が介護度2で下りたが、まずどこに連絡すれば良いのか?どのケアーマネージャーが良いのか?電話をする場合こちらの心積もりが必要だと思うけど何を考えておけば良いのか?介護度が進んでいくのは誰が認定するのか?」と兄が立て続けに聞いてくる。

 

「同居していた義理の父が一昨年亡くなった時の例を挙げて一通り話します。介護サービスは大きく2つに分けられる。一つは人的サービス、もうひとつは家の改装(例えば手すりなど)や備品(ベッドなど)の設備的なサービス。どこに介護を頼むか最初はどこが良いか分らないので先日認定に来た人が示して行った中から適当と思われるところに電話すれば良いのでは」とわたしが答える。

 

「今度9月13日に病院へ行くときには宜しく付き添ってくれ。そのときに医者がリハビリのことを言ってくると思うけどどうしよう?脳梗塞のようにリハビリで少しでも歩けるようになるなら自分もやるけど、、」と兄が言うので、わたしが「リハビリは通院してまでは無理ではないか。自宅でのリハビリを指導してもらってはどうだろうか」

 

「最近は散歩に行っていない。コンクリートで転ぶのが恐いから。それでもなるべく家の廊下を歩くようにしている。たまには外に行ってみたい気もする」と兄。

 

わたしが「無理することはないのでは。外の散歩の時には介護ヘルパーに付き添ってもらってたまに行けば良いのでは。車椅子で外に出かけて、歩けるところを少し歩くと言う手もある」

 

話は変わるが、「昨日の阪神中日は、あれでは阪神はダメだな」と兄が言うので、わたしも「テレビで観たよ」(この話題でひとしきり盛り上がる)。

 

こんな具合に兄とは午前中話をして、それから一緒にビールを飲みながら亮子さんの作った昼食を食べた。イスに座って話し続けられる時間が前よりは短くなっている。1時間も経つと疲れて寝むそうになってくるので自分の部屋に戻って休むように促す。そこで1時間おきに昼寝しては起きてきて10分ほど話すことの繰り返し。

 

昼前に鷹之進(兄の一人息子)が高校から帰ってくる。彼はお腹の調子が悪いようだ。3階の自分の部屋に上がったきり昼飯時にも下りてこなかった。その後居間に来てPCのことなどでみんなと元気に話をしていた。鷹之進がじゃれて犬のヒロをソファーに投げたときに

 

兄が大きな声でたしなめていた。会話には鷹之進も入ってそれほど違和感なく家族をしていた(兄の病気のことなどで鷹之進は精神のバランスをかなり崩していると聞いていた)。

 

午後3時半に兄宅を出た。霊南坂の自宅には午後5時に着いた。

 

帰りがけに兄が「お前の顔を見ると安心するよ。でも来るのが大変なときは言ってくれ」

行けば1日仕事。からだの調子が思わしくない時や暑いときなど週1回は正直きつい、2週に1度くらいならなんとかなるんだけど。

 

Fax以上

 

和夫の家は永福町の駅から歩いて15分のところにある。途中に大宮八幡というかなり立派な神社があってこの辺りは都心にあっても緑の豊かなところだ。その大宮八幡で和夫と亮子は結婚式を挙げたのだ。

つづく

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