【小説】あにき⑫【脊髄小脳変性症看護記録】

小説

※この記事の執筆者はATAU氏です。イタリック字体部分はちゃむやまによる注釈などです。※

 

鯉④

病名

和夫の病名がはっきりとわかったのはいつのことだろうか。H16年の春、桜も散った頃和夫は病が徐々に進行して呂律が回らない、字も書けなくなってきた。

 

近所の病院にいくつか行ってみたが原因が分からない。あるいは脳に異変があるのかもしれないということで自分の住んでいる永福町から井の頭線で数駅先に行った富士見が丘にある関東第二病院という総合病院の脳内科を受診した。CTなどさまざまな検査が行われた。

 

4月22日和夫と亮子は担当医から病名の説明を受けた。「脊髄小脳変性症という現代医学では治療法のない難病です。5-10年先には足が麻痺して車椅子になる」と告げられた。

 

難病と言う言葉を聞いた亮子は医者の前にもかかわらず声を上げて泣いた。病院を出た和夫は「誰にも言うな」と亮子に念を押した。

 

そうしたことがあった5月の節句のとき。和夫の家から近くにある亮子の実家で親戚一同が集まり会食会がもたれ、所沢から和夫の両親も招かれた。会の途中で鷹之進がわがままなことを言う場面があり和夫の父がそれを(皆の前ではあるが)たしなめた。

 

それを見た亮子は「親に心配をかけまいと和夫の病気は伏せているのに人の気も知らないで」と強い反感を和夫の父に対して持った。

 

7月に入り和夫の両親のダイヤモンド婚のお祝いで銀座のレストランに一同が集まった。鷹之進が自分に決められたコースには好きなお肉がないと新たに肉のコースを追加したいと言い出した。

 

能には少しわがままに感じたが、言われた和夫は少し考えてから「まあ良いでしょう」。和夫が妙に子どもに甘くなっているなと能は感じた。その会食の席で父母を中心に撮った全員写真は今もなお健在な母が「みんなで撮った最後の写真だね」と言って自分の部屋に飾ってある。

 

父母へFAX9

(H17年12月5日)

 

こないだは所沢でご馳走になりありがとうございました。また近いうちに植木などを切りに行きます。

 

少し用事があって昼過ぎに家を出た。病院に着いたのは午後2時半、もう亮子さんが来ているかなと思って兄の病室に入ると、やっぱり兄と亮子さんの話し声が聞こえる。

 

ちょうどヨーグルトをスプーンで食べさせているところ。兄は背が高く182cmもある、すぐに足がベッドにつかえるので上半身をもう少し上げましょうということで、亮子さんとわたしとで兄の身体を抱えるようにして引き上げた。

 

ベッドを上げて上半身を立てて食事を取るのでどうしても体が下方へとズレいく。右手が前より少し利かなくなってきたので、寝ていても自然と左側へ身体が傾いていく。

 

食欲は相変わらずあってヨーグルトや甘いものなどを好んで食べる。排便はナカナカなくて「やっぱり歩いたりしないと出ないね」と兄。いつものよう顔色はよく表情も穏やかで足も温かい。よく話すし会話にも不便は感じさせない。

 

居る間、看護婦が尿を変えに来てくれたり、以前自宅に訪問看護してくれた時の請求書を持ってきたりしていた。

 

「所沢に行ったんだって」と兄が聞くので「いやあー、些細なことでおやじと衝突しちゃってね。お互い気持ちがツカレているのかもネ最近は」とわたしが話すと兄は少し心配そうにする。

 

「でも翌日は庭の木を切って上げたらおやじ喜んでたよ」と言ったら兄が笑い、亮子さんも笑っていた。「なんでもハイハイって聞いてあげなくちゃダメだよ、もう歳なんだから」と兄。こうした家族の話にはことさら良く反応する。

 

最近はラジオも相撲くらいでニュースもあまり聞かない。だんだんそういったことから関心がなくなってきているようだ。

 

亮子さんの話では話し始めは反応がにぶいがしばらくこちらが話しているとだんだんと頭が働いてくるみたいだ。やっぱり外から話して頭を刺激してあたまのリハビリもしなくてはいけない。

 

頼まれていた確定申告の話で、こうやって書けば良いのではと案を出したら「うん、それでいいよ」。でもわたしにみんな任せるのではなく「今年送られてきた申告用紙をコピーしてそれに下書きして来てくれないかもう一度見るから」と意欲的だ。

 

「松子さん(能の妻)や子どもたちも見舞いに来てくれ。それから家に寄って行ったらいいよ」と兄。3人も4人も来たら病室が騒がしくならないか?と言うと兄は、「いや、そんな長い時間居るわけでないから大丈夫だよ」

 

「上の娘は最近バイトの残業で帰りが遅いよ、夜の10時くらいになる。暮れで宅急便は忙しいからかな。でも周りに頼られて結構うれしそうにやっているよ」とわたし。

 

わたしの上の娘が気に入っている兄は「蕎麦屋とか飲食店のバイトよりいいんじゃない。いい経験だよ、俺はそう思うよ」

 

北海道のまりもさん(兄の友人)より塩鮭が所沢の父母のところに届き、わたしも少し頂いて来ておにぎりなどにして美味しく食べていると、兄に御礼を言った。

 

午後4時になってリハビリのため看護婦さんが呼びに来て車椅子で1階に行くというので兄と握手して別れた。兄は「来週は来れる?亮子に連絡してくれ」

 

帰りの電車の中で亮子さんが「和夫さん、インフルエンザの予防注射をしなくていいのかな?」と聞くのでわたしは、「今までしていないのなら特にやらなくても良いと思うけど、心配なら看護婦さんにでも相談してみたら」

 

亮子さんの話

「こないだ同じ部屋の肺炎の人が良くなって退院するって時、和夫さんが涙ぐんでいた。わたしも泣けてきた。自分も治って退院したいんだろうなって、やっぱり」

 

「わたし(亮子)の末弟が来年の3月ごろに和夫宅のそばに引っ越して来て、母と一緒に住む予定。母はうまくやっていけるかしらと心配しているけど、駄目になるまでとにかくやってみたらと母には言っている」

 

「大学時代の和夫さんの友人で福岡の方が居るのですが、以前はちょくちょく電話を頂いていたのですが最近来なくて心配していたら、血を吐いてしばらく入院していたんですって、退院して今は大丈夫とのことです」

 

そう言えば今日の帰りがけに兄が「普通が一番だよ」と言うのでわたしが「そういうものなのかなア」と言うと兄は、「俺が言うのだから間違いない」

Fax以上

 

つづく

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