【小説】あにき⑪【脊髄小脳変性症看護記録】

小説

※この記事の執筆者はATAU氏です。イタリック字体部分はちゃむやまによる注釈などです。※

終わりよければ全てよし③

私の母は認知症が出ているが94歳の年の割には元気にして近くの施設で生活を送っています。

 

先日かかりつけの訪問医と施設の関係者と私の3人で母の看取りについて話し合う機会を得ました。

 

当施設内で(病院ではなく)看取ることも可能だということで私は医師に対して、「延命治療をどこまで行うかについて母の意向を予め聞いて、できれば事前指示書を作って頂けないでしょうか」とお願いしますと医師は、

 

「在宅での看取りをいくつか経験していますがそのようなものを書いてもらったことはありません。本人から聞かれたならば話し合いますが医師から話し出すことではないと思います。親族の中で日ごろ見えない方に限って間際に来てアレコレと言い出すことが多いです。私はそういった争いに巻き込まれたくありません。家族間でよく話し合ってください。決まったら私はそれに従います」

 

「今後容態に変化があって、治る見込みがあるときは救急車で病院へ運んでもらいます。しかし終末期となって何が何でも救急車で病院へとは考えていません。意味なく管だらけとなっての延命措置は受けさせたくないと私も思っています。もしもの時にはまず私に電話をください、救急車を呼ぶかどうかを判断します」。

 

私はこれを聞いて、日本の医師の多くは事前に本人の意思を確かめる(事前指示書)ことに消極的なことがわかりました。

 

 

前回に引き続き、宮本顕二・礼子夫妻のブログよりいくつかの要点を紹介させて頂きます。

どうして本人の意思とは無関係に延命措置がなされるのでしょうか

いまの状況で、自分の考えに従って延命措置はしないで自然な看取りを実践しようとしても患者の家族に一人でも反対者がいれば後に訴訟に巻き込まれる可能性があります。それを防ごうとしたら、ものすごく手間と時間をかける必要があります。家族に説明する時間も10分や20分で済むはずもありません。しかも繰り返す必要があります。多忙な医療現場でそんな余裕はないでしょう。

 

*病院経営の問題もあります。今や療養病床の7~8割は経管栄養や中心静脈栄養で延命されている人たちです。そのため、点滴や経管栄養を行わなかったり、中止したりすると、患者さんは2週間ほどで亡くなるので、病床が空き、病院経営が苦しくなります。

 

しかし2030年には死亡者が今より40万増加し看取り先の確保が困難になるといわれています。療養病床は、中心静脈栄養や24時間の持続点滴を行ったり、人工呼吸器をつけたりすると診療報酬が高くなります。そうすると点滴も何もしないで看取る患者は診療報酬が低いので経営的に不利になり、最初から入院できないことが多いです。

 

 

*一番の問題は、点滴も経管栄養も行わずに死んで行ける場所がないということです。自宅でも看取ってくれる医師は少ないし、家族も介護しきれない。

 

施設はどうかというと92歳の夫の母が有料老人ホームに入っていますが少量しか食べなくなってきています。家族はできればそこで看取ってほしと思っていますが、訪問診療をしている先生から、いざとなったら病院へ行ってほしいと言って言われています。

 

心筋梗塞や肺炎などを疑ったら救急車を呼ぶとはっきり言われています。結局は静かな看取りの場がないのです。

 

どうしたら本人の意思が尊重されるのか

意思表示ができる時は、本人の意思を尊重することが基本です。本人の意思が無視されるのが問題です。人工呼吸器も経管栄養も本人の意思が尊重されるべきだと思います。本人の意思であれば選択した内容に私は何の意見もありません。

 

*本人の事前指示(意思表示ができなくなる前)に従うのが一番良いと思います。現状では家族が延命するかどうかを決めています。しかしそれを何とかしなければいけないと思っています。

 

欧州ですと医学的適応がないことは患者の意思にかかわらず最初から医師の判断でやらないと書かれています。しかし日本の場合はその病院に人工呼吸器の装置があればやらざるを得ない。私たち医師の責任が問われますので。

 

*本人の意思が示されていない限り家族はどちらの判断をしても悩むのです。「断るのも地獄やるのも地獄」とおっしゃった家族がいました。

 

だから医学会が終末期の高齢者の延命は医学的意味がないことを示せばよいのです。そうすると家族は肩の荷を下せます。延命措置をするかしないかの二つの選択肢を示されると家族は決断した後に、「これで良かったのか」と悩みますので。

 

私は家族に選択肢してもらうときには必ず自分の意見を言います。「患者さんはこういう状態だから医学的に意味はなくやらないほうが楽だと思います」と。若い医師は同じ価値づけをして選択肢を示します。

 

それでは家族は困ります。優先順位をつけて上げるのが専門職の仕事だと思います。「私はこれを勧めます」、「自分が患者ならこれを選びます」とか「自分の親だったら、こうします」とか。

 

*欧米の尊厳死法案は積極的に死を早める安楽死法です。医師による自殺ほう助です。日本で検討中の法案は死を免れない患者に本人が望むなら延命措置はしないまたは延命措置を中止しても医師の責任は問われないという内容です。要するに欧米では当たり前のことを日本では法制化しようとしています。

 

*枯れるように死んでいくのは本来の自然な姿。それでよしとする風潮をみんなが持って欲しい。政府は在宅の看取りのことばかり言っていますが無理な延命措置をしなければ今の病床数で十分間に合うのです。

 

*自宅や施設だけで看取るのは無理です。看護士がいない施設も多いので、看護の人に看取りなさいというのは酷です。自宅で死んで行ける人は幸せですが皆は無理だと思います。自宅で死ぬ人、施設で死ぬ人、病院で死ぬ人があって良いと思います。どこで死んでも安らかに死ねることが大切と思います。

 

*認知症や高齢者であっても必要な治療はしなければなりませんし早々にあきらめる「みなし終末期」があってはなりません。本当に終末期か正しく判断する責任が医師にはあります。そして本当に終末期であるならば無駄な医療はしない代わりに緩和医療を積極的にやりましょうということです。

 

つづく

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